2021年10月16日土曜日

編み物を覚える

 編み物はそもそも子供の頃から嗜むもの、という70年代生まれの人から聞くのはなんだが、編み物は、大人になってから独学もできちゃう。

覚え方は人によるのだろうと思うけれど、私は図解というか絵で描かれた方がわかりやすい。どうしたら上の段と下の段の辻褄が合うのかとか、どうやったら袖ぐりと肩が合うのかとかそういうことを2次元の感覚でわかれば、それでOK。

だからここで目を飛ばすけれども、ここで復活させるんだな、なるほど的な発想があれば、あとはそれを繰り返していくだけだ。

日本の場合は日本ヴォーグ学園というところが編み方の基本みたいな本を出してくれているので、それで大体覚えられる。

かく言う私も、棒編みは表目と裏目しか知らなかったけれど、セーターの網図や、この棒編みのガイドブックみたいなもので覚えたテクニックは多い。

さらに、大物を編むときのコツは、最初によく網図を見て全体をイメージすること。これはロジカルシンキングにも通じる。

最初はとにかく早く編み上げたくて、できるところからどんどん編んだものの、ああ、あそこの意味はこうだったんだな、いいや先に進んじゃえ、とティーンエージャーの時にはやっていた。

しかしこの自粛手芸ブームで、大人になってからの編み物となったときには、結果はどう言うものになるかまずは完成品の写真をよく観察する。

加えて、編み物のショップに行って、できたものを見てもらい、前身頃と後身頃、袖などの剥ぎ方のコツ、糸の止め方のコツまで教わってきた。

前身頃、後ろ見頃、袖は減らしめを1目内側で行い、それに沿ってはぐとのこと。止め方は2目ゴムあみ止めが良いとのこと。もちろん、網図の掲載されている本をよく見て、そういう網図になっている本を買い求めるのが良いと思う。

つまりは、最後の作業のところで何が面倒か、をよく見てから編み始めることにより、結果がよくなると言うことだ。

俯瞰して、詳細のフレームワークは意外なところで役に立った。大人の編み物革命かもしれない。

2021年10月13日水曜日

元サウスポーの日記 あるいは365日の革命

 色んな人が日記を書くと良いと言っている。しかし、在宅になる以前は自宅の机に座って日記を書く暇もなかった。手帳の端に三行日記を書いて10年ぐらい経った。

2019年から働き方改革で在宅OKとなった。そして憧れの日記を書き始めた。

手書きの日記はほぼ日5年手帳だった。1年間書いたがどうも書くスペースが足りない。それに自分の字が汚くて読みにくい。

翌年2月に見つけたのがパソコンのライフログアプリ。これは写真もすぐクラウドからコピペできるし、何より自分の生活を一人で楽しむ、一人SNSの感覚で楽しめる。

そもそも私はごく小さい頃左利きだったのを矯正されたので字を綺麗に書くことが難しい。だから、タイピングした文字の方が読みやすい。そんなわけでそのライフログアプリに2020年は1年間日記をつけた。

2021年に入ると、このアプリは去年の今日明確に何をやっていたかわかる。それを見るのも楽しい。去年の自分に、「今はこんなことをやっているよ。」と問いかけてみる。

そうすると、365日の積み重ねの革命が、もう50代にもなって面の皮が大概厚くなっているにもかかわらず、私を変えているとわかる。

2021年10月12日火曜日

なんでも書くノート Stalogy

 私はサラリーマンとしては手帳は2冊持ちだ。言い方を変えれば手帳プラスノートを持っている。今回はそのノートの話。

ノートは、以前、無印の無地のノートを好んで使っていた。B5だったのでデスクの引き出しに入れておいたが、今は在宅で持ち歩けない。

そういうわけで版をA5に変えて、Stalogyのノートにオレンジのカバーをつけ、A5のペンフックのついた下敷きを装着し、ペンをさして使っている。

方眼なので、チャートもスイスイかけるし、何しろページがたっぷりなのでなんでも書いてしまう。

最初はバレットジャーナルを気取っていたが、インデックスを書いて整理するまもなくどんどん埋まっていくので、今や単なるメモ帳と化している。

書き込みページの紙がちょっと薄いので、書いたページが多くなるとボリューム感が出てきて、それが私のお気に入りだったりする。いつまでも行儀の良いノートより、使い込むほど表情が出たほうが面白い。プライベートのことでも仕事のことでもなんでも思いついたことは書く。

特に寝る前に頭に残っている仕事のことは書く。そうすると頭がスッキリしてよく眠れる。

スマホとパソコンのスケジューラーに書いておくのもいいけど、なんでもかけるチャートが描けるノートというのは必要。特にStalogyのノートは今年の身の回りの小さな革命としては大きなものだった。

2021年10月11日月曜日

瞑想歴が短くても瞑想でスッキリする方法

 瞑想はヨガを始めて興味を持ち、スピリチャルにならないギリギリのところの瞑想本を2010年ごろから読み漁っていた。たまたまNHKスペシャルで瞑想がいい、という話もあった。

今、ネット動画で瞑想を勧める人もいるが、土台働いている人が瞑想の醍醐味を味わえるほどになるにはかなり時間がかかる。しかしながら、瞑想の醍醐味を簡単に味わえる方法がある。

まずは有酸素運動。15〜40分程度の有酸素運動を行う。それで汗だくになったら一休みしてから瞑想を行う。それが一番瞑想の良さを享受できる手っ取り早い方法だと思う。

そのために私がやったことは、まず瞑想を10分から練習した。2014年から2019年まで、お昼休みの会社の会議室で瞑想した。

ときには会議準備の人がやってきて、途中でやめてしまったり、ときには人の話し声が聞こえていたりとなかなか純粋に瞑想をすることはできなかったが、2年ぐらいして20分の瞑想も苦痛ではなくなった。

この2年というのが短いのか長いのかはわからないけれど、とにかく片道2時間の通勤時間で瞑想の時間を取るのはお昼休みが精一杯だった。

その後、日曜日のアシュタンガヨガのクラスの後、帰宅してから1時間の瞑想。かなりリラックスできる。体が強張っていると瞑想はやりにくい。

また、瞑想はガイドしてもらう方が良い。瞑想での暗黒面もあるらしく、やり方というのがある。

どこかの瞑想道場に行くのもいいかもしれないけれど、スマホアプリでHead Spaceというのがあり、それでは東洋の伝統的な瞑想をマインドフルネスとして英語でガイドしてくれる。

最近はヨガの動画もついた。私は終身利用権を買っているので、それでやっている。

瞑想というのは私に静けさを楽しむという革命をくれた。この革命にはかなり長い鍛錬が必要だった。


2021年10月10日日曜日

ミニマリストへの憧れと現実

 ミニマリストというと何か神秘的な感じがするのは私だけだろうか?ミニマムな持ち物で身軽に暮らす生活には、その行動が何かとヴァリエーションに富んでいるのではないかと想像させる。

ミニマリストたちの出版した本や、プロデュースした部屋などを見るととても美しく、生活感もなく、何かモデルハウスのようにも映る。どんなに狭い部屋だったとしてもだ。

しかしながら、私の現実ではミニマリストは達成されない。それは果てない好奇心からくる書籍の購入や、懲りないエクササイズのために購入されるスポーツ用品のためだ。

シンプルな部屋にヨガマットを1枚だけ敷きっぱなしにしておくとしよう。やることはヨガだけ、となると選択と集中ができているということになる。

ところが、フローリングの床にヨガマットを敷いたままとすると、どんどん髪の毛やらほこりやらがヨガマットについてしまう。必然的にヨガラグを置いたり、ヨガマットクリーナーを買ったりと、余計なモノが増えていく。

じゃぁ、本は紙じゃなくて電子書籍にすればいいじゃん、となるが、電子書籍で読む本はどうしても疲れてしまって続かない。光をずっと見つめ続けているからだ。

そんなわけで、私は本とヨガマットと、室内サイクリング練習機と一緒の部屋で仕事している。ミニマリストになるなら、ヨガとサイクリングをやめて本も読まないとなるが、身体を動かさない、好奇心も満たされない、そんな生活はまっぴらごめんというわけで、ミニマリストはやめている。普通のサラリーマンはミニマリストはできないかもしれない。

ミニマリスト革命はそんなわけで私のところにはやってこないのだ。