2021年9月24日金曜日

編むことで得るもの

 編み物で得るものは、前にも書いたけどフロー状態に入ることだ。これはヨガでも経験する。一説によると、ペインクリニックで編み物とヨガが奨励されているらしい。編み物に取り組んでいると、セロトニンが放出され、痛みが緩和される。編み物が終わったらヨガらしい。

そもそも編み物は祖母に教わった。母が仕事一辺倒で家事をおろそかにしていたので、私には家事を仕込もうと思ったらしい。編み物の他には、裁縫、洗濯、ご飯の炊き方、お皿の洗い方、糠床の混ぜ方などなど色々教えてくれた。昭和の人にはそれ一つ一つが遊びのようなものだった。

脱水の水を無駄にせず靴下の汚れをとる方法とか、大きな編み物でも根気よく続ければやがては終わりが来ることなどなど。大正生まれの祖母にはそういうことが生活のメインだったのだろう。

今、成毛眞さんの著書をオーディブルで聴きながら、2040年の日本や世界の状況を想像しながら編み物を進めていると、2020年代の今日、私が70年代に逆行して編み物をしているのは不思議なことではないとわかる。日本はどんどん貧乏になっていくのだ。

だから、衣服を手作りしたり、身の回りのことにフォーカスして楽しみを得るというのはごく自然なことなんだなとわかった。コロナが明けても、おそらく昔のように毎年のように海外を飛び回ったり、ブランド品を買ったりなんてことは日常じゃなくなるかも知れない。

いや、そもそも外出がほとんどなくなるから、ユニフォームはユニクロとなるかも知れない。来客に備えて、エルメスの手帳なんか持たなくてもいいのかも知れない。それはそれで気軽な生活のような気もする。

編み物を進めながらそんなことを考えていた。大局を預かる人には大問題だが、私にとっては、中指の糸の調整とそんな思考が、何がしかのポジティブさをくれる。

明治の人、令和の人

 今、昭和、平成、令和という3つの時代をまたがって生きる人たちがいるように、私たちが子供の頃、明治、大正、昭和という時代をまたがって生きていた人たちがいた。私の祖父だった。平成元年に亡くなったので、4つの時代といえばそうかも知れない。

第二次大戦のもののない時代を生きてきた人たちなので、本当にミニマリスト。木造の蔵付きの家に住んでいて、持っているものはほとんど簡素でシックだった。

パンと肉が大好きで、紅茶も好きだった。リプトンのティーバッグで毎日のようにミルクティーを飲んでいた。

鉛筆一本一本を大事に使い、服は本当に着れなくなってしまうまで使い、食物一つ一つを大事にしていた。そんな祖父から生活の仕方を教わってきたので、私もモノもちがいいのだろう。

子供の扱いがうまく、近所の子供を集めては庭で三角ベースをした。雑草の名前も大概祖父から教わった。

昭和を生ききっていってしまった祖父だが、自宅の火事を経験したり関東大震災の経験談を話したりと、まるで私からはかなり遠くの不幸を話す人だったが、その語り口には関東人のキッパリとした潔さがあったのだろうか、あまり暗い側面がなかった。

ところが、平成になって東日本大震災、コロナ禍と、未曾有のことが起こってきて祖父の言っていた不幸というのが身近にあるようになった。そこには暗さというよりも、一種の割り切りみたいなものがあって、私は私でうまくやるよという姿勢ができた。

明治という時代は令和を生きる人には予習すべき時代なのかも知れない。

西洋人の東洋好き 東洋人の西洋好き

 最近欧米でも瞑想が流行っているせいか、インドで出家したイギリス人の本が書店で目立つところに置いてある。出家までしちゃうんだとも思うが、カウンターカルチャーの頃から東洋は西洋をインスパイアしている。

東洋的な発想が、じゃあ、日本人の私に響かないかというと全然そんなことはなくて、禅寺の清潔さや、漢字がもつミステリアスなデザインと多様な読み方、何ヵ国かで共有されている文字の使われ方の多様さなどには心惹かれる。一文字一文字に歴史があり、なんだか魂までこもっているように思われる。

お寺で読経されるお経も意味が深いものがごく数文字で書かれていたり、中国の漢詩も壮大な山河が漢字数文字で表されちゃったりしているから、東洋って結構すごい。

そういう文化面での東洋の凄さを感じながらも、一方でなんでも科学的にしちゃう欧米というのもすごいと思う。

瞑想を科学的に実験して、その機能を抽出し本当に意味のあるものにするところは役に立つし、ストレス社会を生きる私たちには助けになる。

東洋はすでに欧米に追い付いているのだろうと思う。GDPで比べてどうこうではなくて、現に東京ではアメリカで手に入るものはほぼ手に入るだろう。日本はもので溢れているのでミニマリズムなんてものが欧米同様流行るのだろう。

洋の東西というのはもう境界がなくて、とっくに文化の革命は終わっている。東洋も西洋も伝統がコモディティ化しちゃってるんだろうな。これからの人類はどこを目指していくのだろう。私個人は人それぞれの心が豊かになればいい、そう思う。

2021年9月23日木曜日

革命的な飛躍(またはかわいそうなティーンエイジャーのリベンジ)

40代後半から、数学に興味を持った。というか、30代後半からほぼ私の仕事は数字に関するものだったので、数字アレルギーが治ったのかもしれない。

そもそも数字アレルギーにしてくれたのは、母校の高校。私立だったので、入試は高校数学の範囲。予備校で対策していてそれが当たったのでなんとか入学したが、それ以来、私は数学劣等生なのだという烙印を押されっぱなしだった。トドメは定期テスト。国立の2次試験が出題された。

社会人になって、統計データをチェックし、数字を作り、検証し、多角的に見る、そんなトレーニングをずっとやっていたら、数字を扱っても別にいいんじゃないの?という割り切りみたいなものができてきて、かわいそうなティーンエージャーの心に焼きついた数字嫌いが治った。まるで減感作療法だ。

そこで、数学の参考書で「やさしい数学」、通称「やさ数」というのを買ってみたが、これがまるっきりまどろっこしくて、説明が長くて、しかも途中からこの公式でやればいいんだよ、なんてことが書いてあって、NGだった。私には合わない。

そこでスタディサプリの大学受験コースをやってみた。なんと、わかるじゃん?

さらにチャート式の参考書で通称「青チャ」というのを数学IIIまで買ってみた。理解できるじゃん?

というわけで、6月までは数学を勉強していた。微分、積分、なーるほどだが、応用題まではまだ解けないだろう。しかしながら、2021年はコロナのおかげで積年の恨みをリベンジできたのだ。

季節が深まり、暑さがそろそろ遠のいてきたので新しい生活様式でできる時間を使って、ぼちぼちまた数学をやり直そう。

2021年9月22日水曜日

ピンチの呪文as of now

 10年前、ちょうど震災があった。革命ではなく災厄。揺れた時には落ち着いていたが、余震が怖くてちょっと悲鳴を上げた。その時、東京都江東区にいた。

スマホを持っていなくて、iPod touchでwifi回線を探しに、会社近くのスターバックスに行くが、店も閉店、回線も閉じている。

何故かガラケーは通じて、家族は皆無事と確認した。気まぐれに繋がったガラケーも電池が切れてきて、あまり使わなくなった。余力を残しておかなければならなかったし、それに、あとは心配しているのは誰だろう?

そう、いつも私が危機的状況の時心配しているのはアメリカの友人。家族ぐるみで付き合いがある。Facebookで繋がっていたが、肝心のiPod touchが繋がらない。

なんとかガラケーのメールから伝えた言葉、それは

We are all  OK as of now.

焦ってそんな文書になったが、「今のところOKだよ。」と伝えた。そう、「今のところ」、物事は大体大丈夫なのだ。

その時からピンチの時には”as of now"という言葉を思い出す。「今のところ」まだ生きているよ、そう思う。死んでないんだから。

コロナ禍にいてもメッセージを送り合っているその友人は、ワクチンを終えて仕事を掛け持ちして飛び回っている。来日して東京オリンピックでサッカーを見たかったとのことだが、また別のチャンスがあるさ。

今回も"as of now"。今のところ新型コロナにはかかってないよ。OKだよ。

アフターコロナの世界も一つ一つの”now"が繋がって、一つ一つ手順を踏んで再生して行く。今が繋がってあたらしい世界へ切り抜ける。

震災当日、会社に一泊した私は、帰宅時のバスの中でスティーブ・ジョブズの公演を教材として英語で聴き、そして、ヨガと瞑想に出会い、「今」の大切さを知るようになったのだった。震災よりもジョブズの公演を英語で聞いていたことが私にとっては革命だった。いや、震災とセットのジョブズの公演が革命だったのだろうか?

「今」はとても大切なのだ。「今」を大切にする人に「未来」が訪れるのだろう。だからピンチが来たら、"as of now"を唱えてみてほしい。「今のところOK」でもいい。「今のところ」が続けば結果OKになるだろう。「今のところ」と構えて自分を観察して、冷静でいることが一番だ。

最後にコロナ禍でご家族にご不幸のあった方、コロナに罹患して後遺症に苦しんでいる方には、心よりご家族のご冥福と1日も早い回復をお祈り申し上げます。

2021年9月21日火曜日

通勤時の革命

サラリーマンの節約というのはすごく小さな革命だ。月に使えるお金の中から、どうコストカットするか、ということをそれは細かくしかも真剣に考え、実行する。お金が浮くとちょっと嬉しい。

3年ほど前、朝、カフェに行く習慣があった。悪癖なのかなんなのか、とにかく駅ナカのカフェでアイスコーヒー一杯を飲むのが習慣だった。一杯280円×20だと5,600円/月となる。結構な出費だなと思っていたら、電車の中に保温容器の広告。これだと思い、保温できる容器をネットで一週間ぐらい調べて購入したのがHydroFlaskのマンゴー色。頑丈そうだし、何よりかわいい。

毎日麦茶を入れて通勤し、会社に着いてから飲む。家庭の味を会社で飲むというのが良かった。朝余裕がある時には、コーヒーを入れたりもした。

コーヒーを入れても1杯100円プラスT-FALの電気代だけだと思い、ランニングコストを考えても割りがいい、続ければ続けるほど元が取れるとの試算で、続けた。

結果、在宅勤務となり、今は在宅ワークのデスクに仕事中、ヨガ中に、コーヒーを飲んだり、お水を飲んだり。そのうちエシカルなアイテムとなって、すっかりペットボトルよりも偉い立場に立っている。

夏場は氷を入れて水を部屋に置いておくと、夜中目が覚めた時に一口冷たい水が飲める。

3年前の革命が、在宅の卓上とエクササイズ中の必須アイテムになっている。この次の革命はいつ来るだろうか?

2021年9月20日月曜日

15分から始める

 8月下旬からしばらく、夏の暑さに疲れて、そしてワクチンの前後ということもあってワークアウトを休んでいた。その後、職場でトラブル。身体が縮まった。肩が凝った。軽い抑うつ。

仕事の対応を色々してしまってから、休息にベッドで縮こまるのをやめてサイクリングとヨガを再開。

まずはヨガから。オンラインヨガのサービスをトライアルで初めて見たがいまいち。そこでYoutubeでヨガを始める。

そして、15分からのサイクリング。アップルウォッチを見ると心拍が一気に150まで上がる。

さらに瞑想。心が静かになる。

心の静けさこそが、虫の声や青空や花の色、自家製ハーブティーの素朴な味、刺激の少ない食べ物を心ゆくまで味わえる、つまりは心の豊かさ。そんな毎日を送るためにどう努力するのかが今の私の革命。淡々とした革命。