2021年10月2日土曜日

天候というショー

 在宅勤務をしていると、ちょっとした身の回りの変化が楽しい。

例えば今日の天気。昨日まで台風が吹き荒れて、台風翌日の良い天気だったかと思えば、夜が深けてから空にパッと青白い光がフラッシュし、ザーッと雨が降る。

グァングァンという巨大な規模の静電気が空でうごめいている音がしながら、徐々に雨が止んでいく。晴天の天気の空にどこからか冷たい空気が入って積乱雲ができたようだ。もう10月なのに夕立のような雨が降っている。蛙がどこかで鳴いている。

そんな時は落雷を避けるために冷静にパソコンの電源を抜きながら、その一つ一つの変化に耳をそばだてている。昼間はちょっと暑かったので、冷たい雨と急に吹き出した冷たい風が心地よく、2階のベランダの窓を開けてちょっと湿った空気を愉しむ。

これが夏なら、ちょっとスイカでも食べて夕涼みするのだけれど、もう10月の初旬というときにイレギュラーな天候がやってくる、今日この頃。天候のことはなかなか誰も予測できないのだけれど、突然やってくる天候というショーを愉しむのもまた一興。

私はお酒が飲めないのだけれど、もしお酒が飲めたなら天候を肴に一杯というところだったろうか。


編み物の道具 失敗の目数リング

 編み物をするときに必要な道具は意外に多い。ヨガのヨガブロックやベルトみたいに、編む作業をガイドしてくれる道具があると、編み物が捗る。

棒針なら、段数リングと目数リング、それから縄編み針、キャップ、糸休め用のホックみたいなものがあると、特にセーターみたいな大物を編むときにとても役立つ。

その中で、いつも使っている目数リングというのがある。これは模様編みをする時に、例えば8目ひと模様の場合、8目で目を区切って棒針に絡めておくものなのだけれど、これに装飾を加えたらどうか、というアイデアをもった。

具体的には、リングにビーズをはめこんで編んでいる最中もキラキラを楽しめたらいいなと思い付いたわけだ。早速手作りしてみた。

一つは、チェコビーズというビーズとリングを組み合わせたもの。もう一つは、百均のビーズとリングを組み合わせたもの。もう一つは、葉っぱの形をかたどったアクセサリーパーツとマルカンというアクセサリ用のパーツ(つまりは丸い輪の金属)を合わせたものを作ってみた。

結論から言おう、失敗だった。目数リングは、棒あみで左から右へ渡すものなのだけれど、どれも重すぎてNG。左から右へ目数リングをうまく渡そうとするたびに落ちて、それに気取られて模様あみを間違えてしまった。結構な段数を編んだのに、最初からやり直しを2回ほどやった。

3回目の正直、というやつで、3回目は編み物用のプラスチックの目数リングを使ったところ、スイスイとすすむ。やはり、手芸メーカーがそれなりに考えて作っているものを侮ったのは素人考えだった。

ビーズの目数リングは、小さな作品を編む時に取ってはあるが、半分は近所の老夫婦のお孫さんの遊び道具として、行き先が決まった。道具というのはやはりシンプルであるべきなのだ。

2021年9月30日木曜日

気づき手帳 すなわち日誌

 転職期間中にやったことは、どの手帳が一番自分に向いているか実験したこと。

なんでも、手帳で計画を書くのって誰でも好きらしい。未来のことを考えるとワクワクするんだろうな。でも手帳の書き方で日々の思考が変わることは事実だ。

転職期間中にやったことは、数学、英語、簿記。それを独学していく中で、どうやってPDCAを回すか?ということを考えた結果、以下を手帳につけてみた。

・問題をこなす中でどうして問題が解けなかったか?

・解けなかった問題に対して、何をすればいいか?

・どの参考書を当たればいいか?あるいは辞書か?

・それをどうやって覚えればいいか?

・その他諸々気づいたこと。

それを1日1ページの手帳に書き出した。対策を書き出し、その通り実行する。自分が自分のコーチになる、というのはこういうことかと思った。

気づきを書くのは日記ではなく、日誌。独学勉強中の方は、お試しあれ。これが私の手帳革命だった。

2021年9月29日水曜日

レジスタンス

 今年は酷暑というわけではなかったが、コロナ禍の中転職したので、夏の初めが新しい職場でのデビュー戦となった。100本だか1000本だかわからないが、実力試しのノックのような仕事がやってきた。

それに夢中になって取り組んでいて、しかも、自転車のトレーニングを欠かさなかった。すると、8月の終わり、もう少しでワクチン接種というときに体調の谷間が来て休むことになった。

去年ぐらいから、アトピー性皮膚炎があって慢性化した。一時、乳酸菌を飲むことによって治っていたものが、復活した。薬をもらったが、塗っても塗っても直らず放っておいた。

すると、そのスタミナ切れの際にアレルギーが一気に開花した。顔がぱあっと赤くなり、最初は暑いせいかと思っていたら、実は麦がダメだった。小麦アレルギーを発症した。

麦茶を飲むとどんどん赤くなり、緊急対応用のステロイドを飲んだ。そんな中ワクチンを受けに行って発熱。微熱だったが体力は奪い、アレルギーは悪化。醤油に入っている小麦も受け付けず、小麦フリーの醤油を慌てて購入した。

医師にも、薬剤師にも「疲れてるんですね。」と言われた。元々小麦アレルギーは持っていたのだが、疲れている時のみ注意と言われたのはもう十数年前か。

ネットで見てみるとアナフィラキシーも起こす可能性ありと出ていたので、ここ1ヶ月は小麦フリーの生活を送っている。すると、慢性化していた皮膚炎は綺麗に治り、消毒薬で荒れていると思っていた手もすっかり綺麗になった。

アレルギーはまるでレジスタンスのように身体に潜んでいて、私の体内で地下活動をしながら息を潜めていた。パスタフリー、パンフリーの味気ない生活はいつまで続くのだろう。せっかくオーブンを新しくして、パンを焼けるようにしたのに。米粉でお菓子でも焼こうかな。体内での小麦アレルギー革命だけはごめん被る。


2021年9月28日火曜日

ミニマリストにはなれないけれど(シンプルという革命)

 ミニマリストというのがちょっと前に流行った。いや、まだ渦中に身をおいている人もいるのかもしれない。

断捨離も時を同じくして流行っていた。結局目的としては、不要なものは買わない、捨てるということ。それで人間関係が良くなるとかならないとか。

最小限の生活、それはそれでスッキリしていいかもしれない。日常で使うものなんて知れているから。ただ、普通に暮らしているのだったら、必要なものは必要なものとしてとっておいて、清潔に整理整頓されていればいいんじゃないかというのが私の持論。

なんでそんなことを言っているかというと、捨ててしまって結構後悔したものがあったから。片付いているのはいいのだけれど、古本屋で書い直した本もあったし、人にあげてしまって新しいものを買い直したものもあった。

それに、私は昭和の人なのでそもそも買ったものを大事に使う。ユニクロのジーンズなんか擦り切れるまで履いているし、20代の頃に買ったLeeのジーンズも裂けるまで履いていた。

今使っている無印のベッドなんか20年も使っている。アフタヌーンティーで買ったコップなんか、もう30年くらい使っている。物持ちがいいんですね。

そもそもシンプルなものが好きだったので、味もそっけもないものが好きなのかも知れないけれど、ミニマリズムというのは私に取ってはシンプルに「片付け」だった。

シンプルという革命は、静かに日本を覆い、やがてみんな静けさという心の平穏を得たのかも知れない。


2021年9月27日月曜日

Cyc, Yog, and Meditation

 サイクリングとヨガと瞑想、これをルーティンにしようというのが目下体力作り革命を進行中の私の日課だ。日課といえば、仕事と日記もあるが、まぁこの3つが強化週間だ。

夏に仕事を始めて緊張が酷かったのと、パソコンスタンドを使っていなかったのでひどく背中が痛むのと、とにかく暑くて外でサイクリングできなかったのと、さらにワクチンを打って弱ったという何重もの障壁があり、9月初旬というのはだいぶ疲れていて、やっと先週ワークアウトを再開したところ。再習慣化するのはまた手がかかる。

以前、ヨガを昔からやっている男性のブログを読んでいたら、ヨガの前に走ってからヨガをして瞑想するという順番だったと思うけど、ヨガの前に有酸素運動をしてヨガをするというのが昔は正式だったらしい。

確かにヨガの前に走るとヨガをやったときの身体の温まり方が違い、当然、汗のかきかたも違う。すると最後の瞑想になんとも静かな時を過ごせる。

ところで、アメリカはドラえもんを出版したり、映画化しないというのは周知の事実だが、これはのび太が情けなさすぎるからだ。しかし、人間というのは常に不安や恐れを持っているものなので、常に勇敢でいなければならない西洋的な発想というのは実に人間に厳しい。

ところが東洋人はネガティブな自分も受け入れている。弱い自分というものを受け入れてくれるドラえもんという存在、ひいては、子供の不安や軟弱さというのに寄り添ってくれる人というのが日本にはいるわけだ。

そして、禅、瞑想という東洋の一種の週間はその弱い自分を律する方法というわけだ。東洋の方がちょっと抽象的なアプローチだけど、人間そのものの存在のあり方が自然だ。

ドラえもんが生き残っている訳がわかる。ウルトラマンやその他のヒーローものがほとんどなくなってしまったというのに、ドラえもんは何十年も残っている訳だから。

実は情けない存在であるということをさっさと認めてしまった東洋人は、実はしなやかに生きているのかも知れない。

そんなことを考えながら、今日も静寂の時を迎えるべくそのベースとなるサイクリングを始める。何かに打ち勝つのではなく、ネガティブさをうまくコントロールできるようになるだろうか。静寂さへの道は続く。

2021年9月26日日曜日

ハンドメイドのマーケット 密やかな革命

 2013年にアメリカに行ったときに、ハンドメイドの需要の多さにちょっとびっくりした。

私は当時片道2時間の通勤でヘトヘトで、しかもデスクワークで身体が参っていた。その当時は、瞑想やらヨガでやっと仕事の疲れを癒していて、てっきりアメリカ人も忙しい中、静寂を求めるヨガが流行っていると思っていた。ニューヨーカーのヨガの話は結構聞いていたから。

だから、高校時代に知り合ったアメリカ人宅に行って、フェルティングや編み物、刺繍、なんてことが彼女たちのホビーだと聞いて、おや?と思った。

そんな素朴な趣味なんだ。それって70年代の日本では?と思ったのだ。アメリカって私たちより進んでいるはずだよね?と。

当時、私がヨガとハンドメイドソープにハマっていることはFacebookで先方に周知していたため、ハンドメイドソープの材料専門店に連れて行ってもらって、安いシアバターをたくさん仕入れたり、ワシントン(D.Cではない方)にあるヨガの街に連れて行ってもらったりした。しかしそこでヨガをやるよりは、20数年ぶりに出会った友人と川のほとりで話し合うことに重きをおいた。

それから8年後の現在、自粛で編み物を自分で初めてみて、あれっと思って昔マーケッターだったことも手伝ってちょっと調べてみたところ、令和の日本では実はハンドメイドが密やかに流行っている。

昔のように大量生産・大量消費の大きな波がある一方で、大きな流行りというのが世の中にはなくなりつつある、というのが現実だ。世の中にものが溢れ、ユニクロや無印で安く色々なものが買える状況がある一方で、ファストファッションはみんなと同じものなので、自分というユニークな存在を主張するために、ハンドメイドで自分を主張するという潮流ができていたのだ。

ネットにはハンドメイド作品を販売するマーケットがあり、そこではハンドメイドのセーターはもちろん、あらゆるものが販売されている。そこには世界で一つしかない、手作りのものが販売されており、編み物ももはや主婦の趣味ではなく、「本業」あるいは「副業」なのだ。

要は既製品が世に溢れ、消費されてしまったというのが端的な解釈だ。だから私たちは、みな自分の時間ができたなら、自分なりの製品を作るということだ。やっぱりアメリカが先を行っていたのだなと思う。

ちなみに、行きつけの手芸店で編み棒を買うときに、「どう、儲かってる?最近自粛で手芸が流行ってるらしいじゃないですか?」と声をかけてみると、「それがね、最近のお母さんは子供に編み物を教えられないんですよ。」とのこと。まだ彼女らは、密やかな革命を知らないのだろう。密やかな革命は実は各家庭で進行中なのだ。