2021年11月17日水曜日

セーターとセーターの間

 11月上旬に取り組んでいたサマーセーターを編みおえた。一つも間違えずに編み終えるのは大変な苦労だった。

ところが編み終えた翌々日、首に激痛が走った。最初は単なる寝違えだと思っていたが、寝違えの翌日に激痛が走り、発熱した。痛み止めを持っていたのでなんとか凌いだが、3日ほど発熱していた。氷嚢で首を冷やし、寝返りも打てないままひたすら横になっていた。

色々調べたところ、かなり首に疲れが溜まっていた模様。しばらく休まないとダメだということがわかり、二週間ほど休んでいた。そして、ここ2、3日でまたセーターを編み出した。今度はメンズのアランセーター。

セーターを編むのも結構重労働なのだなということがわかった。セータを編むこと自体は、アランセーターが終わったらやめようと思っている。

セーターを編むという大革命は、身体に悲鳴をあげさせたのだった。

2021年10月26日火曜日

女性の薄毛の原因を推測する

2年ほど前、もう縮毛矯正かけられないですよ、と美容院の店長に言われた。産毛部分がほとんど切れてしまっていますよ、とのこと。

確かにその頃は、天空を支えるアトラスのように会社を裏側から人知れず支えていた。ヨガのトレーニングだってしていたし、片道2時間の通勤時間に英語だって簿記だって勉強していた。スーパーマンになろうとしていた。40代というのはまだまだ青春時代真っ只中だったのだ。

会社を辞めて、しばらく休もうと思った。一応、職安に行かなければならないので証明写真を撮ったら、なんと前髪がほとんどなかったし、毛髪の艶もない、それに明らかに薄くなっている。

自慢ではないが、私は髪が多い。高校生の頃は友人にそれをネタにされていて、悔しくてショートカットにしていた。それでも爆発せんが如くのボリュームだった。

大学に入ってからはずっと縮毛矯正をかけて、もう20年以上縮毛矯正続きだった。そこにNGが入ったのだ。

「養毛剤をつけるんですな。」と店長に言われ、ショックだった。早速、美髪に良いというミドル向けの石鹸タイプのシャンプーとリンス、それとペアになっている養毛剤を購入。

しかし、なかなか元に戻らず。トレーニングとして始めた屋外サイクリングのために髪が痛んだのかなとも思ったが、シャンプーをAmazonで人気のサロン仕様のものに変えてみた。

最初に店長から言われて2年、先日また縮毛矯正をかけてくれと美容院を訪れると「髪が元に戻りましたな。」とのこと。「おそらくここの美容院と同じシャンプーとリンスを使っているんですよ。」というと、「髪に必要な栄養分というのは意外に少ないんですよ。」とのこと。海藻のシャンプーとお米のプロテインのリンスが良いとのこと。

さらに、ここのところ在宅勤務となり、しっかり7時間寝ている。寝ていなかったのも薄毛となってしまったことの原因の一つかも知れない。食事も忙しくてそれほど気を配っていなかったし。

シャンプー、リンス、&睡眠が薄毛解消の鍵かも知れない。今はまた多くなった髪を若干持て余している。睡眠は日々をリセットするには有効な革命だし、毛髪には必然の習慣かも知れない。

 

2021年10月23日土曜日

化学繊維はダメだったけれど 繊維革命

 子供の頃から化学繊維は苦手。つまり痒くなってしまう。チクチクするし、結局ナイロンてナイロンたわししか使えないじゃん。というわけで、ずっと化学繊維を敬遠していた。その一方で、ウールもラノリンが辛くて痒い。羊毛の毛布は身体中痒くって布団の上からも掛けられない。

そんな中、去年であったのがヒートテックの毛布。そもそもヒートテックは熱くなり過ぎて、下着には着られなかったが、毛布はOK。暖かいし、肌触りもいい。こんなもの発明した人は誰だ?ユニクロねー、というわけでヒートテック毛布を愛用している。

10月に入ってガクンと寒くなったので、ヒートテック毛布が出番だ。実は2013年にオレゴンに行ったときにペンデルトンの毛布を買ったのだが、どうも羊毛は怖い。それは家族が愛用している。

ヒートテック毛布はもちろん丸洗しても傷まない。羊毛みたいにラノリンが薄くなって痛むこともない。安い。とまぁ買わない理由がないほど使い勝手がいい。虫もつかないしね。

天然繊維も悪くはないが、やはり最近の化学というのは本当に懲りずに何かを開発し続ける。そもそもナイロンはパラシュートの材料として開発されたものなので、本当に人の肌触りというものを考えた繊維には敵わないだろうと思う。

最近の化学にバンザイ。そして、ずっと使い続けられるだけの耐久性があるかどうかは実験中。

居場所はヨガマットの上

 スポーツを始めるときにはとにかく続けることを考える、となるとサンクコストを使うといいと会社の同僚から教えてもらった。投資すればそれを取り戻そうとスポーツ習慣ができるというわけだ。

しかし吝嗇家の私はヨガを始めるときに、初めは続くだろうかという思いがあり、天然ゴムの薄いマットを買った。結局それがボロボロになるまで使い、3度目に洗った時に使い物にならなくなるまで使った。

その次に買ったのが、ここまで続けるのなら投資しちゃうか、というわけで、Manduka Proマットというのを買った。2万円程度するもので、ドイツ製。他のマットより大きく、重い。

しかしこのマットを購入したところ、上手くなったとのこと。確かに安定感があり、ポーズを取りやすい。やたらとヨガインストラクターに褒められた。(別にヨガスタジオで購入した訳ではなかったけれども。)

自宅用とスタジオ用で2枚ほど持っているが、もうスタジオには行かなくなったので部屋に2枚引いてヨガラグをかけてある。

家族が気が向いたときには一緒にヨガをやり、そうでないときにはその上で編み物をしたり、瞑想をしたり、ときにはぼーっとしたりとやたらと居心地がいい。

それに2万円もするものが2枚もあるので、またヨガをやろうと思うわけだ。

MandukaのProは買って後悔はないが、一点問題があるとすればその重量ぐらいで、持ち運びが大変。ただし、車で移動するのなら、積みっぱなしにできるので問題ないかもしれない。私は根性で電車で運んでいたが、それだけポーズが取りやすいし、膝を立てたり、ヘッドスタンドしたときにクッションが効いていて身体が痛くならない。

編み物するにも居心地がいい。瞑想ももちろん。ボルスターと組み合わせて居心地がいい。快適な敷物になっている。

フットワークよく、どこでも持ち運ぶならトラベル用のものもあるし、屋外でヨガをやるには若干不向きなきらいもあるが、Manduka Proはおすすめ。アメリカのメーカーなので、ヨガマットにインド、アメリカ、ドイツから革命を起こしたものと言えるのではないだろうか。

2021年10月18日月曜日

「編む」とは  編み物のそもそも論

 8月から取り組んでいるサマーセーターはコットンの糸を使っているが、上質なのでとても編みやすい。DARUMA毛糸のコットンの紺の糸を使って編んでいる。

どんなセーターを編んでいるのかというと、三國万里子さんの作品でほぼ日ストアで売られているもの。「たちあおい」という作品名なので興味のある方はググられたい。

レースっぽいサマーセーターみたいなことが売りなのだけれど、この模様編みはとても編み応えがあって、模様編みこそが編む醍醐味という感じがする。すると、編むってそもそもなんだろう?という疑問が湧いてきた。

感覚としては、糸を組んでいく感じがするなぁ、組紐みたいだなぁ、あ、紐じゃなくて組み毛糸かぁ、と思っていた。一目避けておいて交差にするとか全く組紐なのだ。

じゃぁ編むって一体なんだろうと思った。棒針で糸を置いていく?糸を置くというよりも綾をつける感じだし、やっぱり組むかなぁ。

そんな仮説を元に「編む とは」でググってみたら、やはり竹などを組むということで、糸を組むことなのだとわかった。そう糸を組んでいくことがすなわち編み物だったのだ。

そんな感覚をわかってから、編み物が一層楽しくなった。私の不器用な手先であっても、しっかり組めれば作品は出来上がる。なるほどなぁ、組むかぁ。

今日は感覚と言葉の革命があった。

2021年10月17日日曜日

編み物を読書する ブリオッシュ編み

 緊急事態宣言が明けて二週間が経ち、昨日、デパートに電車で買い物なんかに行ってみた。人人人。元の街に戻っている。

書店の編み物コーナーに行ってみる。綺麗な表紙のブリオッシュ編みという本が売られている。一旦カフェでコーヒーを一杯飲んでから購入することにする。クレジットカードのポイントで全額支払えた。

そして今日、百均の毛糸とそれに合う棒針で、基本的な編み方を習得した。ロジックがわかった。

表目→掛け目・すべり目→表目の繰り返しをまず行う。その次に裏側で、表目だったところを掛け目・すべり目にして、表目の掛け目・すべり目だった目を2本一緒に裏目で編む。すると、一段でいつも完結している表目が、2段にまたがる。

これはイギリスゴムあみとか変わりゴムあみとか言われているが、実際はゴムあみの引き上げあみだということがわかった。

でもって、カラーの違う2本を組み合わせて、ゴムあみを輪に編むことによってちょっと変わったスヌードができるんだなーということがわかった。

それでさらにそれを増し目したり、減らし目したりすることにより、さまざまな模様をつけていくというのがこのブリオッシュ編みだということもわかった。

ロジックがわかってしまうとその編み物への闘志が若干失せるが、実際に編んでみると面白いかもしれない。しかしながら、あとセーターを2枚編んでしまわないと次の作品に手をつけられないので、来年の春くらいだろうか。新しい編み物への革命は来年へと続く。

2021年10月16日土曜日

編み物を覚える

 編み物はそもそも子供の頃から嗜むもの、という70年代生まれの人から聞くのはなんだが、編み物は、大人になってから独学もできちゃう。

覚え方は人によるのだろうと思うけれど、私は図解というか絵で描かれた方がわかりやすい。どうしたら上の段と下の段の辻褄が合うのかとか、どうやったら袖ぐりと肩が合うのかとかそういうことを2次元の感覚でわかれば、それでOK。

だからここで目を飛ばすけれども、ここで復活させるんだな、なるほど的な発想があれば、あとはそれを繰り返していくだけだ。

日本の場合は日本ヴォーグ学園というところが編み方の基本みたいな本を出してくれているので、それで大体覚えられる。

かく言う私も、棒編みは表目と裏目しか知らなかったけれど、セーターの網図や、この棒編みのガイドブックみたいなもので覚えたテクニックは多い。

さらに、大物を編むときのコツは、最初によく網図を見て全体をイメージすること。これはロジカルシンキングにも通じる。

最初はとにかく早く編み上げたくて、できるところからどんどん編んだものの、ああ、あそこの意味はこうだったんだな、いいや先に進んじゃえ、とティーンエージャーの時にはやっていた。

しかしこの自粛手芸ブームで、大人になってからの編み物となったときには、結果はどう言うものになるかまずは完成品の写真をよく観察する。

加えて、編み物のショップに行って、できたものを見てもらい、前身頃と後身頃、袖などの剥ぎ方のコツ、糸の止め方のコツまで教わってきた。

前身頃、後ろ見頃、袖は減らしめを1目内側で行い、それに沿ってはぐとのこと。止め方は2目ゴムあみ止めが良いとのこと。もちろん、網図の掲載されている本をよく見て、そういう網図になっている本を買い求めるのが良いと思う。

つまりは、最後の作業のところで何が面倒か、をよく見てから編み始めることにより、結果がよくなると言うことだ。

俯瞰して、詳細のフレームワークは意外なところで役に立った。大人の編み物革命かもしれない。

2021年10月13日水曜日

元サウスポーの日記 あるいは365日の革命

 色んな人が日記を書くと良いと言っている。しかし、在宅になる以前は自宅の机に座って日記を書く暇もなかった。手帳の端に三行日記を書いて10年ぐらい経った。

2019年から働き方改革で在宅OKとなった。そして憧れの日記を書き始めた。

手書きの日記はほぼ日5年手帳だった。1年間書いたがどうも書くスペースが足りない。それに自分の字が汚くて読みにくい。

翌年2月に見つけたのがパソコンのライフログアプリ。これは写真もすぐクラウドからコピペできるし、何より自分の生活を一人で楽しむ、一人SNSの感覚で楽しめる。

そもそも私はごく小さい頃左利きだったのを矯正されたので字を綺麗に書くことが難しい。だから、タイピングした文字の方が読みやすい。そんなわけでそのライフログアプリに2020年は1年間日記をつけた。

2021年に入ると、このアプリは去年の今日明確に何をやっていたかわかる。それを見るのも楽しい。去年の自分に、「今はこんなことをやっているよ。」と問いかけてみる。

そうすると、365日の積み重ねの革命が、もう50代にもなって面の皮が大概厚くなっているにもかかわらず、私を変えているとわかる。

2021年10月12日火曜日

なんでも書くノート Stalogy

 私はサラリーマンとしては手帳は2冊持ちだ。言い方を変えれば手帳プラスノートを持っている。今回はそのノートの話。

ノートは、以前、無印の無地のノートを好んで使っていた。B5だったのでデスクの引き出しに入れておいたが、今は在宅で持ち歩けない。

そういうわけで版をA5に変えて、Stalogyのノートにオレンジのカバーをつけ、A5のペンフックのついた下敷きを装着し、ペンをさして使っている。

方眼なので、チャートもスイスイかけるし、何しろページがたっぷりなのでなんでも書いてしまう。

最初はバレットジャーナルを気取っていたが、インデックスを書いて整理するまもなくどんどん埋まっていくので、今や単なるメモ帳と化している。

書き込みページの紙がちょっと薄いので、書いたページが多くなるとボリューム感が出てきて、それが私のお気に入りだったりする。いつまでも行儀の良いノートより、使い込むほど表情が出たほうが面白い。プライベートのことでも仕事のことでもなんでも思いついたことは書く。

特に寝る前に頭に残っている仕事のことは書く。そうすると頭がスッキリしてよく眠れる。

スマホとパソコンのスケジューラーに書いておくのもいいけど、なんでもかけるチャートが描けるノートというのは必要。特にStalogyのノートは今年の身の回りの小さな革命としては大きなものだった。

2021年10月11日月曜日

瞑想歴が短くても瞑想でスッキリする方法

 瞑想はヨガを始めて興味を持ち、スピリチャルにならないギリギリのところの瞑想本を2010年ごろから読み漁っていた。たまたまNHKスペシャルで瞑想がいい、という話もあった。

今、ネット動画で瞑想を勧める人もいるが、土台働いている人が瞑想の醍醐味を味わえるほどになるにはかなり時間がかかる。しかしながら、瞑想の醍醐味を簡単に味わえる方法がある。

まずは有酸素運動。15〜40分程度の有酸素運動を行う。それで汗だくになったら一休みしてから瞑想を行う。それが一番瞑想の良さを享受できる手っ取り早い方法だと思う。

そのために私がやったことは、まず瞑想を10分から練習した。2014年から2019年まで、お昼休みの会社の会議室で瞑想した。

ときには会議準備の人がやってきて、途中でやめてしまったり、ときには人の話し声が聞こえていたりとなかなか純粋に瞑想をすることはできなかったが、2年ぐらいして20分の瞑想も苦痛ではなくなった。

この2年というのが短いのか長いのかはわからないけれど、とにかく片道2時間の通勤時間で瞑想の時間を取るのはお昼休みが精一杯だった。

その後、日曜日のアシュタンガヨガのクラスの後、帰宅してから1時間の瞑想。かなりリラックスできる。体が強張っていると瞑想はやりにくい。

また、瞑想はガイドしてもらう方が良い。瞑想での暗黒面もあるらしく、やり方というのがある。

どこかの瞑想道場に行くのもいいかもしれないけれど、スマホアプリでHead Spaceというのがあり、それでは東洋の伝統的な瞑想をマインドフルネスとして英語でガイドしてくれる。

最近はヨガの動画もついた。私は終身利用権を買っているので、それでやっている。

瞑想というのは私に静けさを楽しむという革命をくれた。この革命にはかなり長い鍛錬が必要だった。


2021年10月10日日曜日

ミニマリストへの憧れと現実

 ミニマリストというと何か神秘的な感じがするのは私だけだろうか?ミニマムな持ち物で身軽に暮らす生活には、その行動が何かとヴァリエーションに富んでいるのではないかと想像させる。

ミニマリストたちの出版した本や、プロデュースした部屋などを見るととても美しく、生活感もなく、何かモデルハウスのようにも映る。どんなに狭い部屋だったとしてもだ。

しかしながら、私の現実ではミニマリストは達成されない。それは果てない好奇心からくる書籍の購入や、懲りないエクササイズのために購入されるスポーツ用品のためだ。

シンプルな部屋にヨガマットを1枚だけ敷きっぱなしにしておくとしよう。やることはヨガだけ、となると選択と集中ができているということになる。

ところが、フローリングの床にヨガマットを敷いたままとすると、どんどん髪の毛やらほこりやらがヨガマットについてしまう。必然的にヨガラグを置いたり、ヨガマットクリーナーを買ったりと、余計なモノが増えていく。

じゃぁ、本は紙じゃなくて電子書籍にすればいいじゃん、となるが、電子書籍で読む本はどうしても疲れてしまって続かない。光をずっと見つめ続けているからだ。

そんなわけで、私は本とヨガマットと、室内サイクリング練習機と一緒の部屋で仕事している。ミニマリストになるなら、ヨガとサイクリングをやめて本も読まないとなるが、身体を動かさない、好奇心も満たされない、そんな生活はまっぴらごめんというわけで、ミニマリストはやめている。普通のサラリーマンはミニマリストはできないかもしれない。

ミニマリスト革命はそんなわけで私のところにはやってこないのだ。

2021年10月7日木曜日

百均の毛糸

 百均でも毛糸を売っている。アクリル毛糸だけかと思ったが、結構色々な配色で、普通のケイトメーカーにはない配色のものもあり、面白いなと思った。まずはアクリルタワシを編んでみた。レシピはネットに転がっているワッフル編み。

確かにワッフル風に編める。しかし、百均のかぎ針じゃないと編めないのだ。普通の手芸用の鉤針を使うと、するすると糸が滑ってしまって、全体に生地が伸びてしまい、ワッフルの詰まった感じがでない。

他にも靴下にチャレンジしたがかなり編み地が薄くなり、すぐに切れちゃうだろうなという感じ。

大物を編もうにも、毛糸の在庫がないので取り寄せて欲しいと言ってもない。レシピにあるような大物は編めない。ネットエコバッグを編んでしまうのにも在庫が足りない。

また、化学繊維が入るものになると編み地が綺麗にならない。小さな小物入れを編もうかと思ったが、網目が綺麗にでないとわかってどうしようか悩んでいるものも一つある。

また、ウールの毛糸も百均で売っているが、どうもかぎ針との相性がやはり悪い。編み心地が悪くて、もう一回編みたいと思わない。

やはり普通の毛糸に慣れちゃった人は、百均の毛糸は辛いかもしれない。なんとかして百均の毛糸で何かを編もうと、徐々に革命を進行させているが、どうなることやら。

編み物道具

 編み物の道具は編み針に始まり、縄編み針や、目数リング、段数リング、休み目用の大型の安全ピンみたいなものや、棒編み針の先にほつれどめをするキャップ、ゲージを測る専用のスケール、ピン留めするための毛糸専用のまち針、など書き出すと延々と続く。

じゃあ一つ買うとそれでOKかというと、そういうわけでもなく、作品ごとにそれぞれ必要な道具というのが違ってくる。

例えば、一段が長い場合、4本か5本の編棒がひと組になった物を使って、横に繋ぎ合わせて、長い編み地を作り、その編棒の本数によってキャップの数も多くなる。

また、網図が全て書かれている場合はそのまま編んでいけば良いが、省略されている場合は段数を数えるリングが必要となる。

目数リングもかぎ針の場合はリングに隙間のあるタイプで段を数えなければならないし、と枚挙にいとまがないのだ。そんなこんなで道具は数え切れないほど持っている。

みなさんそうだと思うけれども、棒針の場合はやはり竹で作られたものがいい。プラスチックの編み針で編む場合に、毛糸に化学繊維が少しでも含まれるとどんどん編み地が伸びてしまう。摩擦で棒針に糸が絡んだ方が、ゲージ通りに編めるというものだ。

棒針に毛糸がきゅっと絡みながらも、スルッと糸割れせずに針先を滑っていく感覚というのが編んでいて病みつきになるポイントだ。またあの感覚が欲しい、そう思ってしまう。

縄編み針はプラスチック製がいい。スルッと滑りながらも、互い違いにした糸をうまく編んでいくのに滑らかだ。

縄編針の場合、フック型と凸型の2パターンあるが、私の場合、フック型は、1目交差の際に使用し、凸型は何目かを交差するときに使用する。フック型を使っていると、1目だけ落としておくので、まるで組紐を編んでいる感覚になる。

ちなみに、ネットの動画を見ていると全く道具を使わず縄編みをしてしまう人というのもいるが、私はその域に達していないし、目指してもいない。あくまでも素人の横好きなのだ。

道具自体は私が子供の頃とそれほど変わらないが、2020年代の今は、編み針を収納する布製のケースや、編み出しをサポートするナイロン製の紐など専用のものがたくさん売られていて面白い。

70年代、私が子供の頃、すでに機械あみ機というのがあって、それを教える人というのを職業にしている人たちを見かけたし、編み物雑誌にもそういう機械が紹介されているのだけれど、なぜだか手編みというのは細く長く続いているようだ。書店でも新しく編み物雑誌が発刊されていて、むしろ今は息を吹き返しているようだ。

編み物の文化は機械革命が起きても、結局手で作ることがいいみたいなことになる。人の手の温もりが籠ったような毛糸というのが素敵なのだろうな。

2021年10月5日火曜日

ヨガのプロップス

 2010年代に瞑想が流行って、ヨガが流行った。しかし、10年後のコロナ禍でジムもヨガスタジオも行きにくいところとなった。オンラインヨガやヨガのネット動画が見直されたのだろう。

実際、ヨガスタジオでは怪我に気をつけてくれるが、ハードなヨガをすると怪我をするのは本当。エクササイズしすぎると、足の付け根のリンパ管がパンパンになるし、下手なバックベンドを自分でしてしまうと腰を痛める。

ヨガのコツみたいなものは、まずは痩せてから本格的なポーズをすること。初めはゆったりな動きから入ること。それが何より。スタジオで教わるのが大事だけれど、今はそれも難しいので初心者は怪我をしないためにオンラインヨガでポーズを見てもらったり、本を読むなりして無理せず楽しみたい。

これからヨガをする人、もしくは人生経験が長い人はヨガを始めるにはプロップスが必要になる。プロップスとは支えるもの。ポーズを取るときに身体を支えてくれるもののことだ。

代表的なところはヨガベルトやヨガブロックというところか。あとはボルスターがあるといいかもしれない。

ヨガベルトは、家にあるベルトでも構わないけれど、ヨガ用のを一本購入すると、座った姿勢で前屈の時に体が硬い人は助かるだろう。だんだん身体を柔らかくするのにヨガベルトはあると助かる。

また、ヨガブロックは立った姿勢での前屈や、あぐらをかいても膝が床につかない人などにおすすめ。高齢者にはいいかもしれない。これはいろんな素材のものがあって、私はコルクでできたものが一番いいと思っている。

重みが適度にあって安定性がいい。ツルツル滑らないので、しっかり身体をサポートしてくれる。

2010年からの10年間は私自身のヨガ革命で、朝起きて四十五分くらいパワーヨガを毎日2年間続けたこともあり、アシュタンガヨガを何年も続けたことがある。ヨガが人生みたいな時代だった。その革命の結果、今も糖尿病にならずに済んでいる。もちろん通勤で一日1万3千歩、毎日歩いてプラスヨガだったのだけれども。

また、ボルスターは買うと高い。座布団の余りがある人は、座布団を二つ折りにして、かつだめになったシーツなどを一緒に入れて、布でクッションを作ればそれでOK。また、ホームセンターなどでも安く売っている。カバーだけ売っている誰でもヨガというサイトもあり、私はそこで2つカバーを購入した。

さらに、瞑想用のクッションというのが売っているけれど、それは上記のボルスターか、座布団を二つ折り、もしくは家に毛布や膝掛けの余りがあれば、それを畳んでお尻の下に敷けば良い。

何かの行為ごとにツールを買うのではなく、応用することで少しミニマリストっぽくものを持てるだろう。

10年にわたるヨガ革命ののちの、知恵はこんなものだった。

2021年10月4日月曜日

演繹的な人生 解釈を楽しむ

You Tuber という人々が世の中のインフルエンサーとなっている。テレビコンテンツに飽きちゃった教養を求める人々がネット動画に興じていると言っていいかもしれない。

あるいはテレビは汎用性みたいなものを大事にしすぎていて、一般的というところを追い求めちゃっているのかもしれない。大衆という軸に囚われすぎているのかも。

もちろん、教養を求めない人もネット動画にハマっている。その場合は、かなりエンタメに軸をおいた動画をダラダラと見ている感じかな?

そもそも昭和の人としては、こういう使える知識があるからこんな本を読むといいという動画があったりして、うーん、昔と逆の提案なんだと思う。本をサマリしたサイトもあるし、どうも、時間の流れが違うんだなと思う。書店で本をゆっくり選ぶんじゃなくて、インフルエンサーやサマリサイトから読みたい本をお手軽にチョイスする時代。ネット通販が行き渡っているので、現物を手にとって吟味できないところにその理由があるのかもしれない。

そもそも昭和の人は、活字、すなわち記号からイメージを想起することに慣れているため、動画から活字に戻るというのは流れが逆なのだ。マックスからミニマムに帰る、みたいな感じがある。 

動画になること自体、つまり映画になること自体が、その活字の集まり、すなわち書籍がとてもヒットして映画になっちゃうみたいな展開がずっと続いていたので、どうも最初にわかりやすいメディアで紹介されちゃうと抵抗があるんだな。

ところで昭和の人々は、編み物、ピアノ、読書、新聞なんてものと同時に成長してきた人なので、全部文字や記号から物事を想起して生きてきた。だから、動画で先に答えを言われちゃったものは、どうしても抵抗がある。自分の中の自分のイメージが大事だから。つまりいつも自分なりの解釈の中に生きていて、自分なりの感性を大事に生きて行きたのだ。

もちろん昭和の人にもテレビはあったけれど、そこでは世界に広まる前のアニメコンテンツが盛んに放送され、アニメはもちろん漫画だったわけで、漫画とは擬人化されたキャラクターが出てきて非日常を演じてくれる、いわば日本的な記号的な何かであり、そこから多元的な解釈ができる自分なりの解釈ができるコンテンツだった。

昭和の人というのは、日常的に解釈することを求められながら生きてきた。つまりは演繹的な人生だ。You Tubeをみて育つ今の10代は自分の人生をどう振り返るのだろう。

お金を投じるもの 海外旅行とブランドもの編

 行きつけの美容院の店長と同年代で最近会話が弾む。もう10年以上も通っている美容院なので気心がしれている。

「子供の頃はね、お金に関しては厳しかったのよ。躾が。」と話すと、「新聞広告の裏を使って勉強みたいな?昭和の人ですね。」という返しがあった。「そうそう、でも今って新聞広告がそもそも少ないし、広告も両面とも印刷してあるよね。」と言って笑って返した。

私自身はあまり家の住み替えもしないし、家のローンもない、服装は30、40代の頃は凝ったけど、あれこれ買うのではなく定番をうまく組み合わせてファッションを楽しんだ。黒のタートルネックのセーターなんてものを使えなくなるまで着ていた。ユニクロの定番をさりげなく使って、ユニクロ以外のポイントを見せるファッションをうまく楽しんだつもりだ。

じゃぁ、何にお金をかけたのかというと、本、スポーツ、資格試験の3つだろうか。いずれも自己投資。あとは海外旅行およびちょっぴりブランドもの。

海外旅行は勤めていた会社の行く末もあって、「今しか行けない」と思い、会社の先輩も背中を押してくれたことがあって、行くことにした。

旅行代理店と3時間相談したり、旅行ガイドを何冊も熟読したり、インターネットで現地のツアーを予約したり、泊まったホテルに格安ツアーがないか聞いてみたりとあれこれ手を使って安くした。特に格安ツアーでは地元のお小遣い稼ぎのツアコンのかなりローカルな話が聞けて面白かった。ここは長年独学していた英語のリスニングスキルが大いに役に立った。

ブランドものは、そもそもブランドもの肯定派ではなかったものの、某女性作家が新聞にコラムとして書いていたブランドものの良さというのがあまりに響いたこともありながら、いつも内勤だった私が、外回りに出かけた時に、スーツと持っているカバンをジロジロみられて「これはいかん」と思い、1つだけ高いバッグを買った。確かにお値段相応の丈夫さ、もちろんメーカー保証の修理もついていて、壊れて一度直してもらった。

さらに手帳。来客がある時に、手帳を出してメモをとる。この場合やはり足元を見られるので某高級ブランドの手帳と手帳カバーを使った。メルカリに出品したところそれなりの値段がついたが、仕事を頑張ったことの思い出として、さらに将来また使うことがあるだろうと思って売らずに取っておいた。

そんな日々を過ごしていて、「卒業から30周年経ちました」と母校からの召喚がありホテルでの大々的な高校の同窓会というのがあった。その時に「ブランドのバッグ、持っていてよかった。」とつい思ってしまうほど、皆ブランドバッグを持っていた。大体、私の1年分のボーナスでやっと一個買えるようなバッグを持っているような奴もいた。

このコロナ禍で皆と会う機会もいつになるだろうかというところだが、私のお金の使い方というのは実になんというか、ある意味で普通のサラリーマンなのだ。海外旅行とブランドものというのはバブルの象徴のようなものだが、昭和生まれはまだそんなものが欲しいのかもしれない。まだバブルから立ち直らない私の革命は、スポーツグッズへの投資へ続いた。


2021年10月3日日曜日

ゆるゆると立ち上がれ

 今年の夏の疲れと、ワクチンの体力へのパンチでトレーニングができなくなって、もう一回トレーニングをブートアップしようと思って、15分からはじめたサイクリングのトレーニング、なかなか元に戻らない。トレーニングをした翌日は朝起きるのが辛く、足がいつまでも熱っている。

どうしたもんだろうと思い、かかりつけの内科医に相談したところ「もうそういう歳だから」と言われてしまった。「そうですね、ゆるゆると行かないとね」と同調すると先生から「いい言葉が出たぞ」とのこと。

10歳違いくらいのこちらも昭和生まれの内科医が「私も10年くらい前はそうだったんだよ。」と。「元に戻らないのでしょうか?」と聞くと、「いやいや元には戻るけど時間がかかるということだから。」そう説得され、「肩が凝って仕方ないんですよ。トレーニングすれば治るのに。」と伝えたところ、それならと肩こりに効く漢方を処方された。

帰宅して、漢方を一包飲んで数時間で背中から首にかけて凝っていた身体がふっと緩んだ。在宅勤務というのは昭和生まれにこうも鞭打つのかとも思う。体力がなくなってしまって、また通勤をゆるゆると再開することになるのだ。

40代の頃は「このままいける」という野望みたいなものがあったが、そうもいかないということが年代が変わるのを境に実感すること。50代の革命はゆるゆると進むのだった。

2021年10月2日土曜日

天候というショー

 在宅勤務をしていると、ちょっとした身の回りの変化が楽しい。

例えば今日の天気。昨日まで台風が吹き荒れて、台風翌日の良い天気だったかと思えば、夜が深けてから空にパッと青白い光がフラッシュし、ザーッと雨が降る。

グァングァンという巨大な規模の静電気が空でうごめいている音がしながら、徐々に雨が止んでいく。晴天の天気の空にどこからか冷たい空気が入って積乱雲ができたようだ。もう10月なのに夕立のような雨が降っている。蛙がどこかで鳴いている。

そんな時は落雷を避けるために冷静にパソコンの電源を抜きながら、その一つ一つの変化に耳をそばだてている。昼間はちょっと暑かったので、冷たい雨と急に吹き出した冷たい風が心地よく、2階のベランダの窓を開けてちょっと湿った空気を愉しむ。

これが夏なら、ちょっとスイカでも食べて夕涼みするのだけれど、もう10月の初旬というときにイレギュラーな天候がやってくる、今日この頃。天候のことはなかなか誰も予測できないのだけれど、突然やってくる天候というショーを愉しむのもまた一興。

私はお酒が飲めないのだけれど、もしお酒が飲めたなら天候を肴に一杯というところだったろうか。


編み物の道具 失敗の目数リング

 編み物をするときに必要な道具は意外に多い。ヨガのヨガブロックやベルトみたいに、編む作業をガイドしてくれる道具があると、編み物が捗る。

棒針なら、段数リングと目数リング、それから縄編み針、キャップ、糸休め用のホックみたいなものがあると、特にセーターみたいな大物を編むときにとても役立つ。

その中で、いつも使っている目数リングというのがある。これは模様編みをする時に、例えば8目ひと模様の場合、8目で目を区切って棒針に絡めておくものなのだけれど、これに装飾を加えたらどうか、というアイデアをもった。

具体的には、リングにビーズをはめこんで編んでいる最中もキラキラを楽しめたらいいなと思い付いたわけだ。早速手作りしてみた。

一つは、チェコビーズというビーズとリングを組み合わせたもの。もう一つは、百均のビーズとリングを組み合わせたもの。もう一つは、葉っぱの形をかたどったアクセサリーパーツとマルカンというアクセサリ用のパーツ(つまりは丸い輪の金属)を合わせたものを作ってみた。

結論から言おう、失敗だった。目数リングは、棒あみで左から右へ渡すものなのだけれど、どれも重すぎてNG。左から右へ目数リングをうまく渡そうとするたびに落ちて、それに気取られて模様あみを間違えてしまった。結構な段数を編んだのに、最初からやり直しを2回ほどやった。

3回目の正直、というやつで、3回目は編み物用のプラスチックの目数リングを使ったところ、スイスイとすすむ。やはり、手芸メーカーがそれなりに考えて作っているものを侮ったのは素人考えだった。

ビーズの目数リングは、小さな作品を編む時に取ってはあるが、半分は近所の老夫婦のお孫さんの遊び道具として、行き先が決まった。道具というのはやはりシンプルであるべきなのだ。

2021年9月30日木曜日

気づき手帳 すなわち日誌

 転職期間中にやったことは、どの手帳が一番自分に向いているか実験したこと。

なんでも、手帳で計画を書くのって誰でも好きらしい。未来のことを考えるとワクワクするんだろうな。でも手帳の書き方で日々の思考が変わることは事実だ。

転職期間中にやったことは、数学、英語、簿記。それを独学していく中で、どうやってPDCAを回すか?ということを考えた結果、以下を手帳につけてみた。

・問題をこなす中でどうして問題が解けなかったか?

・解けなかった問題に対して、何をすればいいか?

・どの参考書を当たればいいか?あるいは辞書か?

・それをどうやって覚えればいいか?

・その他諸々気づいたこと。

それを1日1ページの手帳に書き出した。対策を書き出し、その通り実行する。自分が自分のコーチになる、というのはこういうことかと思った。

気づきを書くのは日記ではなく、日誌。独学勉強中の方は、お試しあれ。これが私の手帳革命だった。

2021年9月29日水曜日

レジスタンス

 今年は酷暑というわけではなかったが、コロナ禍の中転職したので、夏の初めが新しい職場でのデビュー戦となった。100本だか1000本だかわからないが、実力試しのノックのような仕事がやってきた。

それに夢中になって取り組んでいて、しかも、自転車のトレーニングを欠かさなかった。すると、8月の終わり、もう少しでワクチン接種というときに体調の谷間が来て休むことになった。

去年ぐらいから、アトピー性皮膚炎があって慢性化した。一時、乳酸菌を飲むことによって治っていたものが、復活した。薬をもらったが、塗っても塗っても直らず放っておいた。

すると、そのスタミナ切れの際にアレルギーが一気に開花した。顔がぱあっと赤くなり、最初は暑いせいかと思っていたら、実は麦がダメだった。小麦アレルギーを発症した。

麦茶を飲むとどんどん赤くなり、緊急対応用のステロイドを飲んだ。そんな中ワクチンを受けに行って発熱。微熱だったが体力は奪い、アレルギーは悪化。醤油に入っている小麦も受け付けず、小麦フリーの醤油を慌てて購入した。

医師にも、薬剤師にも「疲れてるんですね。」と言われた。元々小麦アレルギーは持っていたのだが、疲れている時のみ注意と言われたのはもう十数年前か。

ネットで見てみるとアナフィラキシーも起こす可能性ありと出ていたので、ここ1ヶ月は小麦フリーの生活を送っている。すると、慢性化していた皮膚炎は綺麗に治り、消毒薬で荒れていると思っていた手もすっかり綺麗になった。

アレルギーはまるでレジスタンスのように身体に潜んでいて、私の体内で地下活動をしながら息を潜めていた。パスタフリー、パンフリーの味気ない生活はいつまで続くのだろう。せっかくオーブンを新しくして、パンを焼けるようにしたのに。米粉でお菓子でも焼こうかな。体内での小麦アレルギー革命だけはごめん被る。


2021年9月28日火曜日

ミニマリストにはなれないけれど(シンプルという革命)

 ミニマリストというのがちょっと前に流行った。いや、まだ渦中に身をおいている人もいるのかもしれない。

断捨離も時を同じくして流行っていた。結局目的としては、不要なものは買わない、捨てるということ。それで人間関係が良くなるとかならないとか。

最小限の生活、それはそれでスッキリしていいかもしれない。日常で使うものなんて知れているから。ただ、普通に暮らしているのだったら、必要なものは必要なものとしてとっておいて、清潔に整理整頓されていればいいんじゃないかというのが私の持論。

なんでそんなことを言っているかというと、捨ててしまって結構後悔したものがあったから。片付いているのはいいのだけれど、古本屋で書い直した本もあったし、人にあげてしまって新しいものを買い直したものもあった。

それに、私は昭和の人なのでそもそも買ったものを大事に使う。ユニクロのジーンズなんか擦り切れるまで履いているし、20代の頃に買ったLeeのジーンズも裂けるまで履いていた。

今使っている無印のベッドなんか20年も使っている。アフタヌーンティーで買ったコップなんか、もう30年くらい使っている。物持ちがいいんですね。

そもそもシンプルなものが好きだったので、味もそっけもないものが好きなのかも知れないけれど、ミニマリズムというのは私に取ってはシンプルに「片付け」だった。

シンプルという革命は、静かに日本を覆い、やがてみんな静けさという心の平穏を得たのかも知れない。


2021年9月27日月曜日

Cyc, Yog, and Meditation

 サイクリングとヨガと瞑想、これをルーティンにしようというのが目下体力作り革命を進行中の私の日課だ。日課といえば、仕事と日記もあるが、まぁこの3つが強化週間だ。

夏に仕事を始めて緊張が酷かったのと、パソコンスタンドを使っていなかったのでひどく背中が痛むのと、とにかく暑くて外でサイクリングできなかったのと、さらにワクチンを打って弱ったという何重もの障壁があり、9月初旬というのはだいぶ疲れていて、やっと先週ワークアウトを再開したところ。再習慣化するのはまた手がかかる。

以前、ヨガを昔からやっている男性のブログを読んでいたら、ヨガの前に走ってからヨガをして瞑想するという順番だったと思うけど、ヨガの前に有酸素運動をしてヨガをするというのが昔は正式だったらしい。

確かにヨガの前に走るとヨガをやったときの身体の温まり方が違い、当然、汗のかきかたも違う。すると最後の瞑想になんとも静かな時を過ごせる。

ところで、アメリカはドラえもんを出版したり、映画化しないというのは周知の事実だが、これはのび太が情けなさすぎるからだ。しかし、人間というのは常に不安や恐れを持っているものなので、常に勇敢でいなければならない西洋的な発想というのは実に人間に厳しい。

ところが東洋人はネガティブな自分も受け入れている。弱い自分というものを受け入れてくれるドラえもんという存在、ひいては、子供の不安や軟弱さというのに寄り添ってくれる人というのが日本にはいるわけだ。

そして、禅、瞑想という東洋の一種の週間はその弱い自分を律する方法というわけだ。東洋の方がちょっと抽象的なアプローチだけど、人間そのものの存在のあり方が自然だ。

ドラえもんが生き残っている訳がわかる。ウルトラマンやその他のヒーローものがほとんどなくなってしまったというのに、ドラえもんは何十年も残っている訳だから。

実は情けない存在であるということをさっさと認めてしまった東洋人は、実はしなやかに生きているのかも知れない。

そんなことを考えながら、今日も静寂の時を迎えるべくそのベースとなるサイクリングを始める。何かに打ち勝つのではなく、ネガティブさをうまくコントロールできるようになるだろうか。静寂さへの道は続く。

2021年9月26日日曜日

ハンドメイドのマーケット 密やかな革命

 2013年にアメリカに行ったときに、ハンドメイドの需要の多さにちょっとびっくりした。

私は当時片道2時間の通勤でヘトヘトで、しかもデスクワークで身体が参っていた。その当時は、瞑想やらヨガでやっと仕事の疲れを癒していて、てっきりアメリカ人も忙しい中、静寂を求めるヨガが流行っていると思っていた。ニューヨーカーのヨガの話は結構聞いていたから。

だから、高校時代に知り合ったアメリカ人宅に行って、フェルティングや編み物、刺繍、なんてことが彼女たちのホビーだと聞いて、おや?と思った。

そんな素朴な趣味なんだ。それって70年代の日本では?と思ったのだ。アメリカって私たちより進んでいるはずだよね?と。

当時、私がヨガとハンドメイドソープにハマっていることはFacebookで先方に周知していたため、ハンドメイドソープの材料専門店に連れて行ってもらって、安いシアバターをたくさん仕入れたり、ワシントン(D.Cではない方)にあるヨガの街に連れて行ってもらったりした。しかしそこでヨガをやるよりは、20数年ぶりに出会った友人と川のほとりで話し合うことに重きをおいた。

それから8年後の現在、自粛で編み物を自分で初めてみて、あれっと思って昔マーケッターだったことも手伝ってちょっと調べてみたところ、令和の日本では実はハンドメイドが密やかに流行っている。

昔のように大量生産・大量消費の大きな波がある一方で、大きな流行りというのが世の中にはなくなりつつある、というのが現実だ。世の中にものが溢れ、ユニクロや無印で安く色々なものが買える状況がある一方で、ファストファッションはみんなと同じものなので、自分というユニークな存在を主張するために、ハンドメイドで自分を主張するという潮流ができていたのだ。

ネットにはハンドメイド作品を販売するマーケットがあり、そこではハンドメイドのセーターはもちろん、あらゆるものが販売されている。そこには世界で一つしかない、手作りのものが販売されており、編み物ももはや主婦の趣味ではなく、「本業」あるいは「副業」なのだ。

要は既製品が世に溢れ、消費されてしまったというのが端的な解釈だ。だから私たちは、みな自分の時間ができたなら、自分なりの製品を作るということだ。やっぱりアメリカが先を行っていたのだなと思う。

ちなみに、行きつけの手芸店で編み棒を買うときに、「どう、儲かってる?最近自粛で手芸が流行ってるらしいじゃないですか?」と声をかけてみると、「それがね、最近のお母さんは子供に編み物を教えられないんですよ。」とのこと。まだ彼女らは、密やかな革命を知らないのだろう。密やかな革命は実は各家庭で進行中なのだ。


2021年9月24日金曜日

編むことで得るもの

 編み物で得るものは、前にも書いたけどフロー状態に入ることだ。これはヨガでも経験する。一説によると、ペインクリニックで編み物とヨガが奨励されているらしい。編み物に取り組んでいると、セロトニンが放出され、痛みが緩和される。編み物が終わったらヨガらしい。

そもそも編み物は祖母に教わった。母が仕事一辺倒で家事をおろそかにしていたので、私には家事を仕込もうと思ったらしい。編み物の他には、裁縫、洗濯、ご飯の炊き方、お皿の洗い方、糠床の混ぜ方などなど色々教えてくれた。昭和の人にはそれ一つ一つが遊びのようなものだった。

脱水の水を無駄にせず靴下の汚れをとる方法とか、大きな編み物でも根気よく続ければやがては終わりが来ることなどなど。大正生まれの祖母にはそういうことが生活のメインだったのだろう。

今、成毛眞さんの著書をオーディブルで聴きながら、2040年の日本や世界の状況を想像しながら編み物を進めていると、2020年代の今日、私が70年代に逆行して編み物をしているのは不思議なことではないとわかる。日本はどんどん貧乏になっていくのだ。

だから、衣服を手作りしたり、身の回りのことにフォーカスして楽しみを得るというのはごく自然なことなんだなとわかった。コロナが明けても、おそらく昔のように毎年のように海外を飛び回ったり、ブランド品を買ったりなんてことは日常じゃなくなるかも知れない。

いや、そもそも外出がほとんどなくなるから、ユニフォームはユニクロとなるかも知れない。来客に備えて、エルメスの手帳なんか持たなくてもいいのかも知れない。それはそれで気軽な生活のような気もする。

編み物を進めながらそんなことを考えていた。大局を預かる人には大問題だが、私にとっては、中指の糸の調整とそんな思考が、何がしかのポジティブさをくれる。

明治の人、令和の人

 今、昭和、平成、令和という3つの時代をまたがって生きる人たちがいるように、私たちが子供の頃、明治、大正、昭和という時代をまたがって生きていた人たちがいた。私の祖父だった。平成元年に亡くなったので、4つの時代といえばそうかも知れない。

第二次大戦のもののない時代を生きてきた人たちなので、本当にミニマリスト。木造の蔵付きの家に住んでいて、持っているものはほとんど簡素でシックだった。

パンと肉が大好きで、紅茶も好きだった。リプトンのティーバッグで毎日のようにミルクティーを飲んでいた。

鉛筆一本一本を大事に使い、服は本当に着れなくなってしまうまで使い、食物一つ一つを大事にしていた。そんな祖父から生活の仕方を教わってきたので、私もモノもちがいいのだろう。

子供の扱いがうまく、近所の子供を集めては庭で三角ベースをした。雑草の名前も大概祖父から教わった。

昭和を生ききっていってしまった祖父だが、自宅の火事を経験したり関東大震災の経験談を話したりと、まるで私からはかなり遠くの不幸を話す人だったが、その語り口には関東人のキッパリとした潔さがあったのだろうか、あまり暗い側面がなかった。

ところが、平成になって東日本大震災、コロナ禍と、未曾有のことが起こってきて祖父の言っていた不幸というのが身近にあるようになった。そこには暗さというよりも、一種の割り切りみたいなものがあって、私は私でうまくやるよという姿勢ができた。

明治という時代は令和を生きる人には予習すべき時代なのかも知れない。

西洋人の東洋好き 東洋人の西洋好き

 最近欧米でも瞑想が流行っているせいか、インドで出家したイギリス人の本が書店で目立つところに置いてある。出家までしちゃうんだとも思うが、カウンターカルチャーの頃から東洋は西洋をインスパイアしている。

東洋的な発想が、じゃあ、日本人の私に響かないかというと全然そんなことはなくて、禅寺の清潔さや、漢字がもつミステリアスなデザインと多様な読み方、何ヵ国かで共有されている文字の使われ方の多様さなどには心惹かれる。一文字一文字に歴史があり、なんだか魂までこもっているように思われる。

お寺で読経されるお経も意味が深いものがごく数文字で書かれていたり、中国の漢詩も壮大な山河が漢字数文字で表されちゃったりしているから、東洋って結構すごい。

そういう文化面での東洋の凄さを感じながらも、一方でなんでも科学的にしちゃう欧米というのもすごいと思う。

瞑想を科学的に実験して、その機能を抽出し本当に意味のあるものにするところは役に立つし、ストレス社会を生きる私たちには助けになる。

東洋はすでに欧米に追い付いているのだろうと思う。GDPで比べてどうこうではなくて、現に東京ではアメリカで手に入るものはほぼ手に入るだろう。日本はもので溢れているのでミニマリズムなんてものが欧米同様流行るのだろう。

洋の東西というのはもう境界がなくて、とっくに文化の革命は終わっている。東洋も西洋も伝統がコモディティ化しちゃってるんだろうな。これからの人類はどこを目指していくのだろう。私個人は人それぞれの心が豊かになればいい、そう思う。

2021年9月23日木曜日

革命的な飛躍(またはかわいそうなティーンエイジャーのリベンジ)

40代後半から、数学に興味を持った。というか、30代後半からほぼ私の仕事は数字に関するものだったので、数字アレルギーが治ったのかもしれない。

そもそも数字アレルギーにしてくれたのは、母校の高校。私立だったので、入試は高校数学の範囲。予備校で対策していてそれが当たったのでなんとか入学したが、それ以来、私は数学劣等生なのだという烙印を押されっぱなしだった。トドメは定期テスト。国立の2次試験が出題された。

社会人になって、統計データをチェックし、数字を作り、検証し、多角的に見る、そんなトレーニングをずっとやっていたら、数字を扱っても別にいいんじゃないの?という割り切りみたいなものができてきて、かわいそうなティーンエージャーの心に焼きついた数字嫌いが治った。まるで減感作療法だ。

そこで、数学の参考書で「やさしい数学」、通称「やさ数」というのを買ってみたが、これがまるっきりまどろっこしくて、説明が長くて、しかも途中からこの公式でやればいいんだよ、なんてことが書いてあって、NGだった。私には合わない。

そこでスタディサプリの大学受験コースをやってみた。なんと、わかるじゃん?

さらにチャート式の参考書で通称「青チャ」というのを数学IIIまで買ってみた。理解できるじゃん?

というわけで、6月までは数学を勉強していた。微分、積分、なーるほどだが、応用題まではまだ解けないだろう。しかしながら、2021年はコロナのおかげで積年の恨みをリベンジできたのだ。

季節が深まり、暑さがそろそろ遠のいてきたので新しい生活様式でできる時間を使って、ぼちぼちまた数学をやり直そう。

2021年9月22日水曜日

ピンチの呪文as of now

 10年前、ちょうど震災があった。革命ではなく災厄。揺れた時には落ち着いていたが、余震が怖くてちょっと悲鳴を上げた。その時、東京都江東区にいた。

スマホを持っていなくて、iPod touchでwifi回線を探しに、会社近くのスターバックスに行くが、店も閉店、回線も閉じている。

何故かガラケーは通じて、家族は皆無事と確認した。気まぐれに繋がったガラケーも電池が切れてきて、あまり使わなくなった。余力を残しておかなければならなかったし、それに、あとは心配しているのは誰だろう?

そう、いつも私が危機的状況の時心配しているのはアメリカの友人。家族ぐるみで付き合いがある。Facebookで繋がっていたが、肝心のiPod touchが繋がらない。

なんとかガラケーのメールから伝えた言葉、それは

We are all  OK as of now.

焦ってそんな文書になったが、「今のところOKだよ。」と伝えた。そう、「今のところ」、物事は大体大丈夫なのだ。

その時からピンチの時には”as of now"という言葉を思い出す。「今のところ」まだ生きているよ、そう思う。死んでないんだから。

コロナ禍にいてもメッセージを送り合っているその友人は、ワクチンを終えて仕事を掛け持ちして飛び回っている。来日して東京オリンピックでサッカーを見たかったとのことだが、また別のチャンスがあるさ。

今回も"as of now"。今のところ新型コロナにはかかってないよ。OKだよ。

アフターコロナの世界も一つ一つの”now"が繋がって、一つ一つ手順を踏んで再生して行く。今が繋がってあたらしい世界へ切り抜ける。

震災当日、会社に一泊した私は、帰宅時のバスの中でスティーブ・ジョブズの公演を教材として英語で聴き、そして、ヨガと瞑想に出会い、「今」の大切さを知るようになったのだった。震災よりもジョブズの公演を英語で聞いていたことが私にとっては革命だった。いや、震災とセットのジョブズの公演が革命だったのだろうか?

「今」はとても大切なのだ。「今」を大切にする人に「未来」が訪れるのだろう。だからピンチが来たら、"as of now"を唱えてみてほしい。「今のところOK」でもいい。「今のところ」が続けば結果OKになるだろう。「今のところ」と構えて自分を観察して、冷静でいることが一番だ。

最後にコロナ禍でご家族にご不幸のあった方、コロナに罹患して後遺症に苦しんでいる方には、心よりご家族のご冥福と1日も早い回復をお祈り申し上げます。

2021年9月21日火曜日

通勤時の革命

サラリーマンの節約というのはすごく小さな革命だ。月に使えるお金の中から、どうコストカットするか、ということをそれは細かくしかも真剣に考え、実行する。お金が浮くとちょっと嬉しい。

3年ほど前、朝、カフェに行く習慣があった。悪癖なのかなんなのか、とにかく駅ナカのカフェでアイスコーヒー一杯を飲むのが習慣だった。一杯280円×20だと5,600円/月となる。結構な出費だなと思っていたら、電車の中に保温容器の広告。これだと思い、保温できる容器をネットで一週間ぐらい調べて購入したのがHydroFlaskのマンゴー色。頑丈そうだし、何よりかわいい。

毎日麦茶を入れて通勤し、会社に着いてから飲む。家庭の味を会社で飲むというのが良かった。朝余裕がある時には、コーヒーを入れたりもした。

コーヒーを入れても1杯100円プラスT-FALの電気代だけだと思い、ランニングコストを考えても割りがいい、続ければ続けるほど元が取れるとの試算で、続けた。

結果、在宅勤務となり、今は在宅ワークのデスクに仕事中、ヨガ中に、コーヒーを飲んだり、お水を飲んだり。そのうちエシカルなアイテムとなって、すっかりペットボトルよりも偉い立場に立っている。

夏場は氷を入れて水を部屋に置いておくと、夜中目が覚めた時に一口冷たい水が飲める。

3年前の革命が、在宅の卓上とエクササイズ中の必須アイテムになっている。この次の革命はいつ来るだろうか?

2021年9月20日月曜日

15分から始める

 8月下旬からしばらく、夏の暑さに疲れて、そしてワクチンの前後ということもあってワークアウトを休んでいた。その後、職場でトラブル。身体が縮まった。肩が凝った。軽い抑うつ。

仕事の対応を色々してしまってから、休息にベッドで縮こまるのをやめてサイクリングとヨガを再開。

まずはヨガから。オンラインヨガのサービスをトライアルで初めて見たがいまいち。そこでYoutubeでヨガを始める。

そして、15分からのサイクリング。アップルウォッチを見ると心拍が一気に150まで上がる。

さらに瞑想。心が静かになる。

心の静けさこそが、虫の声や青空や花の色、自家製ハーブティーの素朴な味、刺激の少ない食べ物を心ゆくまで味わえる、つまりは心の豊かさ。そんな毎日を送るためにどう努力するのかが今の私の革命。淡々とした革命。

2021年9月11日土曜日

何十年かぶりで買ったタオル

 30年前に使っていたタオル、それは学生の頃、旅行に行くのに買ったタオル。タオルなんて買うものじゃないと思っていた時に、買ってみてそれは私にとって大きな革命だった。


そして、今、新たに無印良品でタオルを買った。マツキヨで良い香りの柔軟仕上げ剤を買った。組み合わせて、明日からの洗顔に柔らかさと香りがプラスされる。ほんの小さな身の回りのささやかな革命。

2021年9月2日木曜日

雨の季節、太陽の季節と部屋の中の革命

 9月に入って、太陽の季節から雨の季節になった。グッと気温が下がり、日が沈むのが早くなった。

冬支度にはまだ早いが、これはぼちぼちアウトドアでのサイクリングのトレーニングができなくなると言うことだ。暗い中、自転車で走るのはかなり危険が伴う。

そう言うわけで、本日は自転車を部屋の中に取り込んだ。室内練習機の上に自転車を設置してちょっと汗だく。しばらくは、YouTubeで動画を見ながらサイクリングのトレーニングとすることになる。


走る時間も日が沈むのを気にしなくていいので、夜お風呂に入る前にちょっと走って汗だくになる、そしてお風呂に入ってスッキリする、そんな楽しみ方。

習慣が変わる、物の配置が変わる、それがちょっとした革命。その新鮮さをしばし楽しもう。

2021年8月31日火曜日

ささやかな革命は何かを始めるたびにやってくる

 難しい編み物や、初めての仕事、人間関係などは、初めのうちは自分の内面に革命がある。

やってもやっても失敗してしまう編み物は、革命そのものだ。

全く同じ網図なんてないから、正しい模様編みの構造、すなわちどういう見え方をするのか、を知るまでは、全く毎日が試行錯誤で、試行するたびに自分の中に革命が起こる。

どうやったらうまくいくだろうか。はて、疲れて間違って編み直し。

「こんな複雑なの編めたっけ?」という自問自答。「いや編めるはずだ。」1からではなく、0からもう一度編み始めるときに自分に言う。

そんなささやかなさざなみのような思考が自分のうちに寄せては返すうちに、パターンが見えてきて、最小公倍数がわかってきて、目数リングが適宜編棒の上に配置され、時には1目だけでも区別され、やがて革命は静まっていく。淡々と編む日常に戻っていく。

左手の中指で糸を調節する強さも、何度も失敗するうちに調整されていく。

編み物の醍醐味はこの編み始めの革命かもしれない。ささやかな革命に結構毎回ドキドキする。




2021年8月30日月曜日

編み物のコツ

 編み物が自粛の中はやっているらしい。ミシンや他の手芸もはやっているそうだ。

高校時代に「勉強しなさい」と言われて編み物を母親に取り上げられて以来、編み物への欲望は止まらなかったが、普通に通勤している時には、週末しか編めず、到底編み物は続かなかった。

コロナ自粛になり、マスクを手縫いで作ってしまうと、なんとも手持ち無沙汰で、結局編み物を始める。

初めは単純な模様のメンズのセーター、次にスヌード、次に女性むけのマフラー、靴下、アラン模様の膝掛け、レース糸で編むブックカバー、同じく小物入れ、メンズのセーター、と次々と作ってもまだ飽きない。

なんとなくだが、部屋のちょっぴりのスペースを使って作業するのが楽しいし、大人になって、プログラミングや難しい数字の表をコンピューターで作成する根気ができたので、細かい模様編みが楽しい。完全にフローの状態で編み物をしている毎日。

仕事とは違うことは、編み物ではパターンを覚えること。そして、初心者じゃなくても補助具、例えば目数リングなどを細かく配置していくこと。

面倒がらない、それが一番のコツかもしれない。そして、編むという行為そのものが楽しいこと、そうすると、編み直しも全然苦にならない。

後は、複雑な模様の場合、網図の上に30cmの定規を置いて、1列づつ追っていく根気。これが面倒でない人は、やっても大丈夫。

中級者は算数が苦手だとダメだけど、大抵の人はできると思うな。

コロナ自粛で起こった世の中のパラダイムの革命に対して、私が起こしたささやかな革命は編み物だった。

2021年8月29日日曜日

書見台 あるいはブックスタンド

 高校生の頃に通い詰めた書店で書見台を購入したのが初め。その後、引越しの時になくなってしまった、か、家のどこかにあるだろう。

30年ぶりにブックスタンドという名称でアマゾンで探したが良いものがなく、結局近くの文具店で2つ購入した。

あると便利で、仕事の際にも要約するための資料を立てておけるし、普段は電卓を立てている。ベッドにもう一つあって、寝るときにいつも左を向いて寝るので、ベッドの上の左側に本を開いておいている。いつでも読める。

「浮気癖」と大学の頃呼んでいた友人がいたが、読んでいる本というのは1冊ではなく大体複数冊読んでいるので、もっと書見台を購入しようか思案中。書見台がもっとあったなら、私のいく場所行く場所でお気に入りの本が読まれるのを待っている、そんな生活、それがささやかな革命。

2021年8月28日土曜日

身の回りのささやかな革命

 手帳、編み物、ハーブ、ヨガ、サイクリング、読書、そして旅、そんなことを生きがいにしながら生きている私は、いつも身の回りにささやかな革命を起こしている。


編み物のあみ直しも、それまで投じた時間を無くしてしまうので、決断がいることだし、本一冊買ってその内容を自分に落とし込むのも、ちょっとした革命。

そんな革命について、このブログでは綴っていきます。