今、昭和、平成、令和という3つの時代をまたがって生きる人たちがいるように、私たちが子供の頃、明治、大正、昭和という時代をまたがって生きていた人たちがいた。私の祖父だった。平成元年に亡くなったので、4つの時代といえばそうかも知れない。
第二次大戦のもののない時代を生きてきた人たちなので、本当にミニマリスト。木造の蔵付きの家に住んでいて、持っているものはほとんど簡素でシックだった。
パンと肉が大好きで、紅茶も好きだった。リプトンのティーバッグで毎日のようにミルクティーを飲んでいた。
鉛筆一本一本を大事に使い、服は本当に着れなくなってしまうまで使い、食物一つ一つを大事にしていた。そんな祖父から生活の仕方を教わってきたので、私もモノもちがいいのだろう。
子供の扱いがうまく、近所の子供を集めては庭で三角ベースをした。雑草の名前も大概祖父から教わった。
昭和を生ききっていってしまった祖父だが、自宅の火事を経験したり関東大震災の経験談を話したりと、まるで私からはかなり遠くの不幸を話す人だったが、その語り口には関東人のキッパリとした潔さがあったのだろうか、あまり暗い側面がなかった。
ところが、平成になって東日本大震災、コロナ禍と、未曾有のことが起こってきて祖父の言っていた不幸というのが身近にあるようになった。そこには暗さというよりも、一種の割り切りみたいなものがあって、私は私でうまくやるよという姿勢ができた。
明治という時代は令和を生きる人には予習すべき時代なのかも知れない。
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